「写経」と「写教」の違いについて
「私の写教」ってなんだ?ですよね~😅
なんでTwitterで#タグつけてまで書いている?
その疑問について書こうと思います。(疑問に思われてる?)(そもそも需要あるのかですけど…💦)
そもそも「写経」(しゃきょう)ってこう書きます。
これは仏教の経文の教えを紙に写しとることです。
私が使っている「写教」という言葉は読み方は同じでも上記と決定的に違いがあります。
ズバリ
『経文の教えを写してるわけでは無い』(笑)
です😸
見も蓋もない…面目ない🙇♀️💦
じゃあ、何を写しているのかというと
不可思議/wonderboyさんの楽曲『生きる』の歌詞です。↓
https://youtu.be/URJRFrd8lgE
ただ、教えを写すという行為は同じだと私は感じています。
自らが「胸に響いた教え」を紙に(私は画面にですが💦)
写しながら心に刻み込んでいくこと。
それにより「自らの心を豊か」にしていこうという行為なんだと私は感じてます。
…ってことで、『写経』と『写教』の文字の使い方の違いはあっても、読み方と意味行為は同じであるということを(あくまで私の私見ですが)を簡単に説明させて頂きました。
次回は『生きる』という歌について説明させていただこうと思っています。
もし、読んで下さっている方いらしたらありがとうございます😸